ハワイでの休日 | ハワイで働く日常
2024年12月15日
投稿者:Koyuki さん
ALOHA~!
5回目の投稿になります。
早いものでハワイ生活も9ヶ月目に突入しました。
最初の2、3ヶ月くらいまでは生活や仕事に慣れていないこともあり、
1年先が程遠く感じていました。
ここ最近は特に時間の流れが早く感じます。
残りの約4ヵ月、より有意義なハワイ生活を送っていきたいと思います。
最近は、遅番から次の日朝番となることが度々あったこともあり、
疲れがなかなか取れず、ずっと身体がきついなぁと感じています。
日本で働いている時は、遅番からの朝番というシフトは
常識的に考えられないと思っていましたので、非常に驚きました。
今までこのような働き方をしてこなかった私にとっては、とにかくしんどいです。
これがハワイの働き方なのかなぁ、と感じています。
また、最近はおそらく閑散期だということもあり、
早上がりになったり、いきなり休みになることが多々あります。
勤務時間も以前と比べると結構減りました。
これからは繁忙期になるのでこのようなことはないと思いますが、
体調を崩しやすい時期なので、バランスの取れた食事を心がけて、
休める時はしっかり休んで、体調管理に努めて繁忙期を乗り越えていきたいと思います。
ハワイでの休日
今まで訪れてよかった場所を紹介しようと思います。
パールハーバー(真珠湾)
ホノルル国際空港から車で約10分、ワイキキからは車で約30分の場所にあります。
1941年12月7日(ハワイ現地時間)の真珠湾攻撃にまつわる戦艦や航空機、
潜水艦などをはじめ、多くの歴史的資料が展示されています。
世界中から多くの方が訪れているハワイの観光地の1つだと言われています。
実際に私が訪れた日も多くの観光客がいらっしゃいました。
しかし、日本人にとっては、日本とアメリカが戦争をしたという歴史的背景があり、
なんとなく足を運びにくい、少し怖いイメージがあるのではないでしょうか。
私もそう感じていました。
しかし、せっかく1年ハワイで生活することができるのだから、
こういった歴史も改めて学びたいと思い訪れました。
ハワイで生活していると多くの日本人観光客を見かけますが、
ここではほとんど見かけませんでした。
パールハーバーには4つの施設
「USSアリゾナ記念館」
「戦艦ミズーリ記念館」
「太平洋航空博物館パールハーバー」
「USSボーフィン潜水艦博物館」 があります。
全部の施設をまわるには結構時間がかかるようでしたので、
今回は「USSアリゾナ記念館」「戦艦ミズーリ記念館」の2つを訪れました。
まず、入場する前にセキュリティの関係上、手荷物制限がありますので
かばんや荷物を有料の手荷物預かり所に預けなければいけません。
財布、携帯電話、カメラ、飲み物などは持ち込めます。
その後、専用のシャトルバスで「戦艦ミズーリ記念館」へ移動しました。
私が購入したチケットには、日本語ガイドが付いていましたので、
戦艦ミズーリについての歴史や装置などについても詳しくガイドしていただきました。
戦艦ミズーリについて詳しく知ることができたので非常によかったです。
神風特攻隊が突撃した跡が今でも戦艦の脇に残っています。
その戦闘機の乗組員は死亡しました。
しかし、ミズーリ戦艦の艦長が
「国のために命を投げ出して働いた者同士、国が違っても変わりはない」
として、周囲の反発をおさえ、水葬してくれたそうです。
普通なら敵の遺体など粗末に扱うものかと思いますが、
ここでアメリカ軍のとったこの行動についての話を聞き、胸を打たれました。
また、亡くなった乗組員の方やアメリカ軍の方の気持ちを考えると
複雑な気持ちにもなりました。
実際に水葬に送り出されたデッキには、乗組員が立っていた場所が記されていました。
1945年9月2日、この戦艦がはるばる東京湾までやってきて、
この戦艦の上で降伏文書調印式が行われました。
式には、マッカーサー元帥をはじめ連合国軍代表と、
日本から政府全権重光葵外務大臣、
大本営全権梅津美治郎参謀総長ら11名が出席しました。
この調印式をもって第二次世界大戦が正式に終結しました。
私は、こんなに大きな戦艦を近くで見たこともありませんでしたし、
実際に乗ったこともなかったので、圧倒的な存在感を放つ戦艦ミズーリに感動してしまいました。
間近でこんなにも大きな大砲を見ることができましたし、
戦艦の中に入って、食堂や寝室、シャワールームなどを
見ることができて非常にいい体験ができました。
その後、再び専用シャトルバスと専用シャトルボートに乗り、
「USSアリゾナ記念館」へ向かいました。
戦艦アリゾナは、その乗組員1177名の大半が命を落とした場所です。
アリゾナ記念館は、真珠湾攻撃で亡くなった戦艦アリゾナの乗組員や
すべての死傷者を讃えるための慰霊施設です。
1962年に開所した全長56mのアリゾナ記念館は、
海底に沈む戦艦アリゾナの中央をまたぐような形で造られており、
慰霊スペースの大理石の壁には亡くなった乗組員全員の名前が刻まれています。
その当時のまま眠っており、沈没当時、艦内にいた1000人あまりの
船員たちのご遺体もそのまま眠っています。
アメリカは水葬の文化があるため、敢えて引き上げず、海に眠っているのだそうです。
沈没した戦艦からは今も油が漏れ出ており、
水面に残る油膜は「アリゾナの涙」や「黒い涙」と呼ばれています。
ここでは、皆それぞれ静かに黙祷を捧げていました。
戦死した方のことを思うととても厳かな気分になりました。
これまで戦争の歴史について勉強してきましたが、
それはあくまでも日本からみた戦争の歴史でした。
日本では戦争の話となると広島、長崎の原爆、
沖縄地上戦など被害者的な立場での出来事として扱われがちですが、
パールハーバーでは加害者としての立場で
日本が何をしたのかということを目の当たりにしました。
日本で学ぶ真珠湾攻撃の歴史とは違った角度から
資料館や記念館を見学することで気付きがありました。
教科書では学ぶことができない日本人の知らない
第二次世界大戦の様子を知ることができました。
パールハーバーは、開戦と終戦が隣り合わせになっている
ということも非常に感慨深い場所でした。
パールハーバーを訪れて、
昔、ここで日本とアメリカが戦争をしていたのかぁ…
となんとも言えない複雑な気持ちになりましたし、
第二次世界大戦の歴史に触れて、改めて戦争の悲惨さ、命の尊さ、
平和の尊さを実感することができました。
また、戦争を違う角度から見つめなおすきっかけにもなりました。
1年ハワイに住んでいなかったら訪れることはなかったかもしれません。
非常にいい経験になりました。