渡米3か月目!| ハワイで働く日常
2024年03月03日
投稿者:Kana さん
渡米して3か月目のコラム
2024年4月1日
どうして今のお仕事を選びましたか?
(企業名を出す必要はございませんので、求人のどんなところに惹かれたか、どんな所にこだわって求人を見ていたかなどを教えてください)
世界中の方々が集まるハワイの中でも、高品質なお料理とホスピタリティを提供するお店で
満足度の高いサービスを追求したいと思ったためです。
前職では電話を通してお客様に対応していましたが、
対面で、かつよりお客様と距離が近い飲食業で更にスキルを磨きたいと思いました。
中でも今のトレーニング先ではお店が一体となっておもてなしの精神を体現していることを評価され、
数々の賞を受賞している為、一流のサービスのノウハウを学ぶことができると考えました。
また、特別な日に選ばれることが多いお店だからこそ、高い基準が求められ、
いかにお客様にご満足いただけるか考え行動する環境に身を置けると思い、魅力を感じました。
ハワイで仕事をして良かった~と思う時はどんな時ですか?
(お仕事中でも、日常生活でもハワイでお仕事をして良かったと思うことがあれば、どんな時にどうして思ったのかなどを詳しく教えてください)
1番は、仕事をしながら英語を学べることです。
言いたいことがあるけど、どう言えばいいかわからない、
といったことがある場合はメモしておいて、
後で調べて次に言えるようにしています。
また、レストランでトレーニングしているので、仕事に関する用語を英語で覚えました。
料理道具の名前や食材など、日本で勉強したり、
留学目的で来ただけではなかなか触れない単語も職場では
毎日のように使うので覚えることができて、貴重な機会だと思います。
また、日本では満員電車で通勤していたのが嫌だったので、
そうではなくなったのが良かったと思います。
今はトレーニング先までバスで通勤していてほぼ必ず座れるので
ぎゅうぎゅうに詰められた電車に揺られるストレスがありません。
お仕事している上で、ハワイと日本の文化ややり方の違いを感じるのはどんな所ですか?
(日本とハワイの違いをメリット、デメリットなど両面で教えてください)
メリットは、日本よりも少し自由な雰囲気があることです。
キッチンでは大抵音楽がかかっていて、歌っている人や踊っている人もいて、日本ではあまりないんじゃないかと思いました。
また、お店に置いてあるコーラやスプライト、ジンジャーエール等を自由に飲んでいいよと言われた時にはびっくりしました。
「日本で私が働いていたお店では従業員は水しか飲めなかったよ」と言ったら逆にびっくりされました。
デメリットは、自由(?)な分、遅刻したり急に休んだりする人も多くいて、
その人がやるべきことが遅れてしまったり誰かが埋め合わせをしないといけない場合がたまにあることです。
ハワイで働く前と、実際に働いてみてのギャップはありますか?
(日本に住んでいた時に思い描いていたハワイと、実際に住んでみてのギャップがあれば良い方と悪い方の両面で教えてください)
想像より日本人が働いていることはメリットでもあり、デメリットでもあると思います。
こみいった説明をしたり、重要な話をする際は日本人の方がいて助かります。
わからないことがあってもすぐに確認して確実な情報を得ることができます。
ただ、日本人ばかりと話しすぎると英語力が伸びないし、
あまり日本を出て海外で働いている意味がなくなってしまいます。
なので、日本人の方にも「英語で指導してほしい」とリクエストして、時々英語でやり取りしています。
本土に比べて日本人が多いのはデメリットではありますが、
今ある環境でも最大限に英語力を伸ばせるようにしたいと思っています。
補足情報 ~日本とハワイの意外な関係~
ハワイに日系人が多くいるのは、過去に多くの移民が日本から移り住んだ為です。
1885年〜94年の間に、日本とハワイ王朝との間に契約が行われ、
合計3万人もの日本人がハワイに移住したといわれています。
そのためハワイには日本文化が見え隠れすることもあり、
盆踊りのお祭りが行われていたりします。
他にも、ハワイのお土産の定番、「マカダミアナッツチョコレート」は
元々日本人が作ったものだったり、
ハワイの定番「アロハシャツ」も実は日本発祥と言われています(諸説あります)
当時多くの移民はサトウキビ畑や製糖工場で働いておりました。
元々ハワイではポルトガル人が持ち込んだ「パラカ」と呼ばれる
木綿生地に似た開襟のシャツが作業着として着られており、
日本人労働者も多くの人がパラカを着ていました。
ただ日本人の中には貧しくてパラカを購入することができないものがいて、
日本から持参した着物をパラカに似せてリメイクシャツを作ったり、
擦り切れて着られなくなった着物をパラカ型に切り取って
サイズの小さい子供用のシャツを仕立てていました。
それが現地の人の注目を浴び、現代のアロハシャツになっていったといわれています。